スズが出て行った。

さあさあ、という雨の音で二度寝から目覚めて、時計を見るともう昼を大分過ぎていて。
コンビニへパンでも買いに行こうかと玄関へ出ると、
スズがいつも履いているぺたんこの靴がなかった。
へんだな、と思って昨日スズが寝ていたはずのソファを見ると姿がない。
ダイニングテーブルの上を見ると、スズの分の合い鍵。

くだらないことで喧嘩をするのはしょっちゅうで、昨日も俺たちは喧嘩した。
くだらなすぎて今となっては原因すらよく覚えていない。
でも大抵寝て、目が覚めたら元通りだったから、これには焦った。
焦りすぎて、自分が分裂するようなおかしな感覚に陥った。
俺の真ん中にいる人はすごく焦っているんだけど、
俺の表面にいる人は、遠くから俺を見守っているような感じ?
つまり、その時俺はすごく焦っているにも関わらず、いつもと変わらない冷静なふりをして、
とりあえずコンビニへパンを買いに行くという謎な行動に出た。

玄関に脱ぎっぱなしのスニーカーをつっかけて、
ビニール傘を差し、ジャージのままコンビニへ行く。
コーンマヨを選んで、次にメロンパンを取ろうと手を伸ばすと、
誰かと手がぶつかった。はっとして顔を上げる。
「あ、れ?」
メロンパンを掴んだ人はとてもよく見慣れた、けれどここに居るはずのない人だった。
びっくりした猫みたいな顔をしている。さっき出て行ったはずのスズがそこに居た。

*

玄関には俺のスニーカーと、スズのぺたんこの靴。ビニール傘、二本。
帰って来たスズにとりあえずコーヒーをいれる。
スズは気まずいのか、コーヒーカップを受け取ってもまだこちらを見なかった。
「電車に乗ったの」
こちらを見ないまま、スズが話し出す。
「朝起きてもむかついた気持ちが収まらなくて。
 勢いで鍵置いて、荷物もろくに持たないで乗ったの。電車に」

*

とくにどこへ行こうとかは無かった。
でも、とにかくむかついていたから遠くに行ってやろうと思って。
券売機で一番高い切符買って、電車に乗ったの。
いらいらは収まらないし、雨のせいで髪はくしゃっとなるし、最悪な気分だった。
2時間くらいした頃かな、ラッシュもすぎて人もまばらな電車に、制服来た男の子が乗ってきたの。
ちょっと離れたとこに居たんだけど、こんな時間に堂々とした遅刻だなーって思ってぼーっと見てた。
そしたら今度は制服来た女の子。どうやら二人は知り合いみたいで、女の子が男の子に声をかけたの。

「ひょっとしてスズハラくんだ」

*

「え、スズハラ?」
「そ。あたしと同じ名前。
 ちょっと驚いていてたら、今度は男の子が女の子に向かって」
「まさか」
スズが、はじめてこちらを向く。そしてちょっと楽しそうに話を続ける。
「うん。言った。“キムラさん”って。あんたと同じ名前」

*

こんな偶然あるんだー、って。
気づいたら、さっきまでのいらいらとか忘れて感動してた。
そんな二人が目の前にいるんだもん、当然気になっちゃって、しばらく観察してた。
スズハラくんは、キムラさんのことをちらちら気にしている風で、
キムラさんはー、うん、何考えているかわからない感じだった。
しばらく二人とも無言だったんだけど、
なんか途中からぽつぽつ笑ったり喋ったりして。
あたしは勝手にそれ見てドキドキしてた。
何話してるかはほとんど聞き取れなかったんだけど、
一言だけはっきり聞こえたの。キムラさんがね、言った。
「さぼろっか」って。

その「さぼろっか」がさ、なんか、すごく良い言い方で。
これから二人はどこへ行くんだろうとか、
いいな、高校生ってとか、
なんかそんなことを色々思っているうちにさ。
高校生だったときのあたしと木村のこととか思い出して。
木村今どうしてるかな、まだ寝てるのかなとか、
あたしがいなくなったこと気づいたかな、とか。
なんか昨日の事も別にどうでもいいことだったよねーとか思い始めて。
気づいたら電車折り返して、ここに帰って来てたとさ。

*

「おしまい、ちゃんちゃん!」
「……すごいな。そんな偶然あるんだ」
「あ、信じた?」
「え、なに、つくりばなし?」

さて、どうでしょー?
とスズがイタズラっぽく言うから、
ちょっとむかついて、俺はスズの髪の毛を両手でくしゃくしゃにする。
「わー、やめろ、タダでさえ今日髪まとまんないんだから!」
「うるせー! さすがに家出とか焦ったんだからな!」
「嘘だあ、焦った人は悠長にコンビニでパンなんか買わないわ!」
「焦りすぎて一周回っていつもと同じ行動したんだよ、バカ!」
お互いの髪の毛をくしゃくしゃ、もじゃもじゃし合いながらまた喧嘩をする俺ら。
「もー、木村の顔が見たくなって帰ってきたのは本当だよ、バカ!」

スズの顔を見ると、ちょっと泣きそうになってた気がして、手を離す。
「甘い物嫌いなくせに、何メロンパン買おうとしてんだよ、バカ」
そういえばメロンパンはスズの好物で、俺はそれを見ながらいつも、
よくそんな甘いパン食べれるな、と呆れていた。

一瞬の沈黙のあと、どちらからともなくふふっと笑う。

「今日、これからどうする? 二人とも休みなんてめずらしいよね」
「スズどっか行きたいとこある?」
「んー、雨だもんなあ、めんどくさい」
「じゃあもう今日はパンかじってゴロゴロすっか」

*

俺は想像する。
人がまばらな電車の中で、これから学校サボってどこかへ行く、二人のことを。
俺と、スズと同じ名前の、いるかいないかもわからない二人のことを。
二人が辿り着いた場所はどんなところだろう。
俺らはきっとこれからも同じ事繰り返して行ったり来たりするんだろうな。
二人はどうかな。
どっか、温かいとこだといいな、と思う。日差しの気持ちいいとこ?
よくわかんないけど。

さあさあと降る雨を窓越しに聴きながら、スズとソファーで丸くなって、
俺はそんなことをぼんやりと考えていた。


(テキスト/YURULIさん)



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