ミツバチのサンドイッチ



がー、と音を立てて自動ドアが開く。
よくクーラーが効いていて、少し背中がぞくっとする。
時計を見る。午後5時20分。
これは「5時過ぎ」と言っていいんだろうか。微妙だ。

*

「スズハラくん、ちこく」
後ろから声。また先に見つけられてしまった。やっぱり遅刻か。
授業が長引いて、とか嘘の言い訳をしようと振り返って、驚く。
「わ、キムラさんキンパツや」
「金じゃなくて、黄色」
キムラさんがふくれっつらのまま小さい声で言う。
「そっか。えっと、ひさしぶりキムラさん」
「うん、ひさしぶり」
うつむいたまま、キムラさんは少し微笑った。

*

ひさしぶりというとこれがほんとにひさしぶりで、
キムラさんに会うのは高校の卒業式以来、一年以上前だった。
卒業式の日にまで遅刻して笑われたのを思い出す。
(担任の教師には笑われるどころかすごく怒られたのだった)
卒業後は僕は家から通える大学に、キムラさんはたしか東京の大学に行ったはず。
電車の中で出会うことも、街を歩いてて偶然会うこともなくなった。
だから昨日家にいきなり電話がかかってきたときはびっくりした。
高校時代にも電話なんてしたことなかったし。

*

「今日はなにすんの?」
待ち合わせ場所の本屋を出て、自転車置き場に向かいながら言う。
電話ではただ明日会おう、って言っただけだった。
むわっとした空気の中を歩きながら、キムラさんは言う。
「ピクニックしよう」
「え、ピクニック?」
「うん、サンドイッチ作ってきたし」
「もう夕方やけど」
「大丈夫、夏やし」
前を歩いていたキムラさんが振り返って言う。
ぐっ、と親指を立てて僕の顔の前に近づけて。
「そっか、そやね」
気圧された。あれーこんな人やったっけ?
自転車にまたがって、キムラさんは行くよ、と言った。
「あ、うん」
 じゃこじゃこじゃこ

*

キムラさんは肘を立ててわしゃわしゃと自転車を漕ぐ。
ひらひらの服と、ふわふわの黄色い頭が揺れて、何かに似ている。
しゃかしゃか。わしゃわしゃ。あ。
「ミツバチや」
「えー、なにー?」
「なんかキムラさん、ミツバチみたい」
「はー、なんですかそれ」
「いや、ちょっとそう思っただけなんやけど」
「褒め言葉ー?」
「うん、似合うねその髪の毛」
「ありがとー。これさー、オバサンが勝手にやっちゃったんよ」
叔母さんが美容師で、高校卒業すると待ってましたとばかりに染められたらしい。
キムラさんもいろいろタイヘンだ。
川沿いの道、夕焼け、タテ並び、振り返らずに大声で話すキムラさん。
わしゃわしゃわしゃ。

*

「どこまで行くん?」
「どこまで行こっか」
決めてないんかい。
川沿いをかれこれ2時間くらい走って、空もうす暗くなってきた。
「サンドイッチ食べな、もったいないよ」
「うん、じゃあここで休憩」
自転車を止めて、河原に下りる。
サンドイッチサンドイッチー。キムラさんは歌うように僕にそれを差し出す。
受け取って食べながら、キムラさん今日はどうしたんやろう、と考える。
絶対なんかヘンだと思うんやけど、って、なんだ!
「からっ! なにこれカラシ入れすぎやって」
かほ、げほ。文句言おうと思ったらキムラさんも一緒に咳き込んでる。
「がー。喉にくるねこれ。マスタード入れすぎたかな」
「キムラさんって料理苦手やったっけ?」
「そんなことない、けど、うあー」
涙目になりながら食べてると、顔にぽつん、と水滴が降ってきた。
「あれ、雨や」
「えええー」
雨はすぐに本降りになって、キムラさんと僕は橋の下に急いで走った。
 ざあああああ

*

「うまくいかないね」
橋の下で雨宿り。
僕の横で体育座りしているキムラさんがつぶやく。
「なにがー?」
「なんかもう、ぜんぶ」
「まあねえ、人生そんなもんっすよ」
「や、ほんとにダメなん」
キムラさんは大きく伸びをしながら、言った。
「実はさー、わたし大学やめたん。こないだ」
「え、まじで?」
「まじで。いろいろあってさ」
いろいろかー。
「でさ、帰ってきても全然ダメで、ピクニックすらもうまく行かん」
「雨やしねえ」
 ざあああああ。
黙ると、雨の音が大きくなる。
しばらく黙って、雨の音を聴いていた。

*

「なー、なんか言ってよ、スズハラくん」
沈黙を破ったのはキムラさんだった。
「ちょっとくらいなぐさめてくれたっていいじゃんか」
そう、口先をとがらせて言う。
僕はこわごわキムラさんの頭に手を乗せて言う。
「えっと、まー、元気出して」
「なんじゃそのテキトーななぐさめは」
キムラさんは怒ってるのか笑ってるのか。
振り払われるかと思ったけど、
僕の手はまだキムラさんの黄色い頭をなでていた。
だいじょうぶだいじょうぶ。
よく知らんけど、きっと大丈夫。
雨に濡れて、少しごわごわしている髪の毛。
キムラさんに触れるのは、たぶん初めてだ。
雨はさっきよりも静かな音をしていた。

*

「スズハラくん」
「なに」
「また、ピクニックしようよ」
「うん」
「スズハラくんとピクニック、結局してないなーと思って、帰ってきたから」
「そうなんや」
「覚えてる? ピクニック行こうって言ってた日」
「うん。なんでか知らんけどよく覚えてる。雨で学校さぼった日やんね」
「今度は朝からにしようよ」
「うん」
「いま何にもしてないから暇なんよねー」
「そっか、じゃあ料理の勉強したら」
「ひどいなー、今度はめっちゃ美味しいもん食べさすから覚悟ね」
「うん、わかった」
「ほんとに」
「うん」

*

キムラさんは体育座りのまま、下を向いてうとうとしてるみたいだ。
だいぶ疲れてたんかな。
今のキムラさんはちゃんと笑ったり泣いたりしてて、ちょっとうらやましいな。
何にもうまくいかないって、僕もやよ。
キムラさんに触りたかったけど、起こしそうで触れなかった。
辺りはもう暗くて、早く帰らないといけないと思うのだけど。
2人の周りの空気が全部固まってしまったみたいに動かずにいた。
少しだけの距離をあけたまま、ずっと動かずにいた。