Scene03



 にわか雨のなか。山田くんは焦っていた。水飲み場で顔をぐしぐしと洗ってみるも、効果はいまひとつ。すこしでも気を抜くとまぶたが落ちてくる。山田くんは寝不足だった。あんなにいい映画をなぜ、深夜2時から放送するのか。怒ってみても眠気は増すばかりだ。山田くんが焦るのには理由があった。放課後、シカタ先生の補習があるのだった。対象の生徒は、山田くんとユカのふたり。毎回寝ている生徒とその横で授業を全く聞いていない生徒が残されるのは必然だった。生徒がふたりしかいない中でも、シカタ先生の授業だ。ユカはきっと寝てしまうに違いない。その時自分まで寝ていたら、先生にあの秘密がばれてしまう。山田くんは眠気を覚ます方法を探すべく、放課後の校舎を彷徨っていた。

 その頃、野球部のマネージャーであるところのサキサカ先輩は、渡り廊下で雨を見ながら物思いにふけっていた。彼女はその2時間ほど前に、気の置けない後輩と信じていたシズクからの告白を受けたところなのだった。好きだ、と言われるのは、たとえそれが同性からであってもうれしいことなのだろう、しかし、親友と信じていた相手が自分をそんな対象として見ていた、ということに彼女はショックを受けていた。突然の雨は彼女の気分にぴったりで、彼女はそこから動けずにいた(その雨を降らせた原因が自分にあることを、しかし彼女は知る由もない)。

 渡り廊下でサキサカ先輩の姿を見つけた時、山田くんはある噂を寝ぼけた頭で思い出す。野球部の中でまことしやかにささやかれる噂。サキサカ先輩に「いたいのいたいのとんでいけ」をしてもらうとほんとに痛みがどこかへすっと飛んでいく、と言う。昨年などは試合で誰かがケガをする度にサキサカ先輩がそのおまじないをし、不思議なことにほんとに痛みは消えたのだという。しかし山田くんはいまだそのおまじないを受けたことはなかった。サキサカ先輩はそのおまじないをすっかりやめてしまっていたのである。人づてに聞いたところ、痛みを飛ばすということは、どこかの誰かに痛みが移っているのでは、と考えたのが理由であるらしい。9割以上が優しさでできているという噂のサキサカ先輩らしい理由ではあった。

 サキサカ先輩、と突然大きな声で呼びかけられ、彼女はふっと現実に意識を戻す。山田、といったか、野球部の一年生の中でもとりわけ元気のある生徒がいた。山田くんは思いっきり頭を下げ、大きな声で言う。おねがいです、ぼくのねむけをどこかへとばしてください。痛いのは飛んで行った先の誰かがぜったい困るけど、眠いのはそんなには困んないですよね、不眠症の人だったら喜ぶかも。だからどうかおねがいします。わけのわからないことを必死に言うその一年生の目は今にも眠りそうなのだった。サキサカ先輩は笑って、効くかどうかわからないよ、と言いながらも、「ねむいのねむいのとんでいけ」と山田くんの頭をなでた。

 山田くんの眠気が奇跡的にすっかりなくなった同じ時、シカタ先生が下駄箱の前で唐突な眠気に襲われて眠りこんだことを誰も知らない。大きな声で礼を言って教室に戻っていく山田くんだったが、シカタ先生は予定の時間を過ぎても現れない。待ち惚けながらユカと山田くんのふたりは、夢の話をするのだった。シカタ先生の時間に必ず見る、芝生の夢。ぷかぷか浮かぶ、音符の夢。山田くんは何となくにやにやしながら、興味なさそうにユカの夢の話に相槌を打って、シカタ先生のつまらない授業を待ち続ける。