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Scene01



 シカタ先生は毎日まいにち、たいそう退屈な授業をする。それは毎日変わらない、安定した退屈さだった。ユカは特に不真面目な生徒というわけではなかったが、シカタ先生の授業だけは5分と聞きつづけることができず、はやばやと夢の世界に旅立ってしまうのだった。ユカの時間割にある「古典」の文字は、そっくりそのまま「睡眠」と書き換えることができた。こぢんまりとして、柔らかな声をしたシカタ先生のことをユカはわりに気に入っていたが、こればかりはどうしようもないのだ。今日も今日とてユカはシカタ先生の授業を子守唄に、窓際の席で船を漕いでいた。

 ユカの頭がゆらゆらと前後に揺れ、やがてゆっくりと机の上に着地していく様子を隣の山田くんはじっと見ていた。ユカの幸せそうな横顔は山田くんをも眠りの世界へ引き込みそうだったが、山田くんはシャープペンシルの先を親指の腹にぎっと突き当てたり、右手で左手の甲をぐいとつねったりすることで耐えた(山田くんは根っからの体育会系男子だった)。山田くんには為すべきことがあったのだ。それは幼馴染みのユカの秘密を守るため、彼にしかできない重要な役割であった。山田くんは下敷きを両手で持ちながら、ユカの様子をじっと見守った。

 山田くんにだけかすかに、控えめなユカの寝息が届き始めて数秒後、それは起こった。不思議な光景であった。寝ているユカの耳の後ろあたりから、ふわふわと小さなシャボン玉のようなものが発生し始めたのだ。ちょうど子供がシャボン遊びをする時と同じように、泡がふきだす。どうして発生したのかわからない虹色のそれは見る間に数を増やし、ふわりふわりと宙に舞う。

 ぷぷぷぷ、ぷぷぷぷぷ。

 山田くんはそれを確認してから、冷静に下敷きで風を作りだす。傍目からは山田くん自身を扇いでいる様に見えるが、作り出された風はユカの頭上へと向かっているのだった。シャボン玉は風に乗り、ふわりふわり、窓の外へと導かれる。いつものとおり、出てくるシャボンに山田くんは極めて冷静に対応した。ユカのシャボンは厳かに窓の外へと送り出された。ふうわりと風に舞うシャボンに、午後の柔らかい光が当たるのをそっと見送る。独り占めするには贅沢な光景だ、と思いながら山田くんはじっとそれを見つめる。

 ユカのシャボン玉はシカタ先生の授業中にだけ発生した。なぜそんなことが起こるのか、山田くんには分からない。ただ自分以外に気づかれないように、山田くんはいつもそれをこっそりと窓の外へ送り出すのだった。山田くんは誰にもこのことを話していない。ユカ自身もこのことに気づいていない。山田くんは幾度かユカに話そうと思ったが、未だに話せないでいた。かつては秘密基地を一緒に作るほどの仲良しだったふたりだが、高校生になった今では隣の席にいても話もしない関係になっていた。山田くんは周囲に気づかれないよう、いつもユカに風を送った。まったく手間のかかるやつだ、などと考えながら、眠気に耐えひっそりと風を送った。周囲の目からユカを守っているつもりだったが、ユカの秘密を自分だけのものにしておきたかったのかもしれない。山田くんは照れくさくてそのあたりのことを自分の中で曖昧にしていた。ただ毎日周囲に気づかれないよう、ユカのシャボンを窓の外へと送り出すだけだった。

 その頃、ユカは夢の中にいた。芝生の上で気持ちのよい風に吹かれて、ユカは夢の中でもウトウトとしていた。短く刈り取られた芝生の上をころころと転がる。その芝生の感触が懐かしい何かに似ているな、とユカは夢の中で考える。シャリシャリ、と音を立てて芝生を引っ掻く。それが幼い頃よく乱暴に触っていた山田くんの坊主頭と同じ感触だということにユカは気づかない。ユカは芝生の上に座り、そよそよと吹く風にあわせてハミングする。声は音符になり、シャボンの泡のように宙に浮かんでは風に流されていく。風に舞い上がる、虹色の音符。夢の中でユカはそれをじっと見ている。芝生に寝転がりながら。チャイムの音で目が覚めるまで、飽きずにずっとそうしている。