スピカ



1/オバケ
 嵐のようなギターの音に飲み込まれて何も聞こえず、雷のような光のなかで何も見えず、ただ隣のオバケと手を繋ぎます。目も耳も役に立ちません。手を繋ぐことだけがオバケを認識する唯一の方法です。オバケに会う唯一の手段です。汗ばんだ手が握り返してくる感覚は確かに現実です。しかし音楽が終わると消えてしまうのです。しんとした、仄明るい白い空間にただ一人取り残されるのです。悲しくはありません。あなたはすべて忘れるから。ただ少し手がさみしいかもしれません。汗ばんだ手がすうんとするかもしれません。その一瞬のさみしさがオバケです。僕はオバケです。聞こえないほどの爆音に、消えそうに眩い光の中に、僕はいます。今はただ手をぎゅっと繋ぎます。ぼくたちは手を繋ぎます。この音楽が終わるまで、ずっと、ずっと。やがてすべてが消えます。あなたはオバケです。そしてもう、どこにもいません。


2/ねえもしもし、
 スピカは夜の散歩を日課にしていました。夜、みなが寝静まった頃に、鳴らない携帯電話を片手に、鍵も掛けず家を出て、夜を歩きます。アップアンドダウン、アップアンドダウン、スロウ、ファースト、スロウ、ファースト。スピカが物心つく頃に死んでしまった人の歌を口ずさみながら、夜を泳ぎます。より暗いほう、より狭いほうへと途を進めます。夜が怖いと言われるのは、暗闇に誰かがいそうな気がするからでしょうか。だとしたら。スピカは、自分はその誰かのことが好きだと思いました。誰でもない誰かのことが、とてもとても好きだと思いました。まっくらやみの中で、パカリと携帯電話を開きます。小さな光にスピカの白い顔が照らされます。スピカはその小さな光を宙に向け、くるくると円を描いて見せます。宇宙に向けて、スピカは話しかけます。小さな小さな光でもって。ねえもしもし、


3/ナイトクルージング
 「窓は開けておくんだよ。いい声聞こえそうさ。」


4/呼び声
 深い深い夜。星を見ながらいつのまにか眠っていた僕はゆっくりと目を覚まします。起きたいきおいのまま何も考えずに歩き出します。小さな足音が夜に響きます。ひょいと飛び上がって、塀の上を歩きます。寝ぼけていても落ちるようなへまはしません。さらに勢いをつけて屋根に飛び移ろうとしたその時、視界の端にチカチカと小さな光が映りこみます。くうるくうるくうる。小さな光はまあるく円を描くように宙を廻ります。これがUFOというやつか、と思いましたが光は僕より小さく、低いところにありました。とりあえず塀から飛び降りてチカチカに近づきます。近づくにつれ小さな人間の女の子がその光を操っていることがわかりました。なあんだ。そう思い立ち去ろうとした僕に女の子は呼びかけました。その声がとても心地の良い声だったので僕は少しだけ立ち止まります。ゆっくりゆっくり、僕を怖がらせないようにでしょうか、女の子は近づき、ついに僕を抱きかかえました。女の子の力は弱く、逃げようと思えば簡単です。でももう少しこのままでいよう、と僕は思います。女の子にやわらかく抱かれて、夜の中に浮かぶようにしながら、僕は宙を見上げます。女の子はその心地よい声で何か小さく歌っているようです。僕はそれに合わせて、にゃあ、と鳴きます。ぼくたちの声は夜に吸い込まれ、やがて消えます。


5/はいもしもし、
 その頃、一直線に地球に向かっていたUFOが進行をやめました。パイロットの宇宙人はおかしいな、と長い長い首をかしげました。かすかなかすかな、それでいてどうしても無視できない、そんな呼び声が聞こえたような気がしていましたが、その合図が突然消えてしまったのでした。宇宙人はしばらく考え、そして進行方向を変えることにしました。宇宙人用のヘッドフォンを装着。宇宙的爆音ロックが流れます。次の瞬間、ひゅん、とUFOはワープします。一瞬だけキラキラした残像がその空間に残り、すぐに拡散します。音だけ取り残されたのか、爆音のロックの続きが小さく小さく、聴こえています。それももうすぐ、消えます。3,2,1。静寂。


6/オバケ(Reprise)
 音楽が終わるとオバケは消えてしまうのです。しんとした、仄明るい白い空間にただ一人取り残されるのです。悲しくはありません。僕はすべて忘れるから。ただ少し手がさみしいかもしれません。汗ばんだ手がすうんとするかもしれません。その一瞬のさみしさがオバケです。あなたはオバケです。聞こえないほどの爆音に、消えそうに眩い光の中に、あなたはいます。今はただ手をぎゅっと繋ぎます。ぼくたちは手を繋ぎます。この音楽が終わるまで、ずっと、ずっと。やがてすべてが消えます。僕はオバケです。そしてもう、どこにもいません。