オン・ザ・クラウド



 図書館の白いカーテンが揺れて、見るとそばの机で太田さんが髪を押さえていた。細い腕。太田さんはまた白くなったみたいで、そのうち溶けてなくなってしまうんじゃないかとわたしは思った。それはきっと綺麗な風景だろう、でも、太田さんがいなくなるのは、わたしはすこしさみしい。

「ひさしぶり、太田さん」

 ミルクティーの紙パックを持ったわたしを見て、太田さんはすこし困ったような顔をした。わたしのことがニガテ、なのではなくて、ひさしぶり、って言葉が罪悪感を呼び覚ましてしまったんだろう。太田さんはたいそうまじめなのだ。たいそうまじめに、何かに悩んだり、何かを悟ったりして、また白くなっていくのだ。飼っていたハムスターを思い出すのは、失礼かもしれないけれど、わたしは、そんな太田さんが好きだ。

「そういえばドイツ語、レポート課題出たらしいよ」
「え、どんな」
「なんだっけ、しょーもなさすぎて忘れたけど。掲示板に書いてあるよ」
「そっか、うん、ありがと」

 とりあえず又聞き情報を伝えるけれど、太田さんはあえてレポートを提出しないかもしれないな、と思った。ムツカシイ何かしらの事情があるのだ。ずずず。ストローで、パックのミルクティーの残りを吸い上げる。常温になるとこいつはふだんより余計に甘くなって、うっとりする味がする。わたしはミルクティー中毒なのだ。それも、とびっきり甘いやつ。

「雨、やんだねえ」
太田さんに言われて外を見ると、枝と枝のあいだに青い空が見えた。太田さんは下を見ている。
「人がいっぱいだ」
「だねえ」

 こんなにたくさんの人がみんな、いろんなことを考えながら、朝早く起きたり、散歩したり、テレビを見たり、お酒を飲んだり、授業に出たり、レポートをでっち上げたり、夜更かしをしてみたり、一生懸命研究をしてみたり、サークルに入ってみたり、飲み過ぎてみたり、カレシとカノジョになったり、片思いしたり、別れてみたり、そんなこんなしながら、それでもなんやかんやとうまく距離を保って生きているのだと思うとぞっとする。
 太田さんはそういうのがへたくそな人なんだろう、とわたしは思う。勝手にそう思い込んでいる。

「あ、みずたまり」
「うん」
「空が、映ってる」
「そだね」

「みんな、雲の上を歩いてたんだねえ」

 太田さんが、うっとりした顔で言う。陽光に、白く、透き通って、太田さんは消えそうに見える。
「おおたさん」
思わず肩をつかむと、その細さと頼りなさにわたしはなんだかちょっと腹が立ってくる。ずるいよ、勝手にどこかへ行かないでよ、太田さん。

「みんな、地面の上を歩いてるよ」
わたしは、小さな声で、ゆっくりと言った。ここは、わたしたちの知らない、どこかじゃないよ。地球は住みにくいね、太田さん、だけどね。

「ここは、地球だよ」

だから、どこかへ消えないで。地球の端っこに、ひっかかったままでいて。

「知ってるよ」

太田さんは、すこしだけ、悲しそうに笑った。