マリモ0歳



>久しぶりに履いた灰色のサルエルパンツにたくさん毛玉がついていたので
>今日からわたしの名前は毛玉です

わたしの指がそう云います。
その小さな声が広い海に沈んでいきます。

(いま毛玉というひとが生まれました
(傾聴!
(ヒア!
(みなさん いま新しい命が誕生しました
(わたしによって生まれたのです
(めでたいことではありませんか
(拍手を! 歓声を!
(クラップユアハンズセイヤー!

みなさんの反応はイマイチです。
たしかに毛玉はただの毛玉です、わたしでありわたしではありません。
たちどころに消すことも可能です。
サルエルパンツの毛玉をすべて毟りとるよりもずっと簡単なことです。
しかし。
毛玉はもはやわたしでありわたしではありません。
さきほどわたしが考えて毛玉として打ち込んだこの文章は、もはやいまのわたしには考え付かない文章なのです。
それはやはり。それはやはり特別なことではないのですか、みなさん。
わたしの中のみなさんは口々に意見を述べます。
その口うるさいことと言ったら!

(ヒア! ヒア!
(毛玉がもの云いたそうにしています
(みなさんお願いだからすこし黙って!
(毛玉は名の通り丸まるように膝を抱えながら言います

「少し静かにしてくれないかしら わたし生まれたばかりで少し眠いの」

その一声でみなさんが蜘蛛の子を散らすように消えます。
いなくなります。
なんということでしょう!
毛玉は生まれたばかりにして、わたしの中の古株のみなさんよりもずっと強い存在なのでした。
他人に認識されるというのはこれほどのものなのでしょうか。

それからのわたしの中での毛玉の重要性はとても高いものとなりました。
わたしが傷つくたび、弱気になるたび、暗くなるたび、毛玉がわたしの代わりに嘆きわたしの代わりにたくさんの慰めを得ました。
しかしそれらは。
それらはけっしてわたしのもとまでは届かないのでした。
>毛玉さん
>けだまちゃん
>けだまー!
>だまちゃん。

もともとわたしは毛玉が嫌いでした。
お気に入りのサルエルパンツに付いていたときから、ずっとずっと嫌いでした。
わたしは毛玉をすべて刈ることにしました。
一晩かけて全ての衣服から毛玉を剥ぎとります。
それは思いのほか爽快な作業ではありました。
それは思いのほか空虚な作業ではありました。

毛玉というものは衣類の一部が変質してできるものなのでしょうか。
それとも衣類にくっつくほこりや何かが集まってできるただのゴミなのでしょうか。
そういったどうでもいいことをちらりと考えながらわたしは
毛玉という毛玉をすべてかりとったのでした。

そうして。
新しいわたしが生まれたのです。
わたしは毬藻と名乗ることにしました。

(ヒア!
(ヒア!
(毬藻というのがわたしの名前です!
(毬藻というのがわたしです!

みなさんは優しく見守っています。

そうしてわたしはいまも毬藻として小さな小さな水槽の中に閉じこもっているのです。
まあるく膝を抱えて、一人で丸まっているのです。